(福岡県)県立直方高等学校
(福岡県)県立直方高等学校
【目的・ねらい】
オリンピック・パラリンピック教育の目的は、オリンピック・パラリンピックを題材として「①スポーツの意義や価値等に対する国民の理解・関心の向上」「②障害者を含めた多くの国民の、幼少期から高齢期までの生涯を通じたスポーツへの主体的な参画(「する」、「見る」、「支える」、「調べる」、「作る」)の定着・拡大」「③児童生徒をはじめとした若者に対する、これからの社会に求められる資質・能力等の育成」を推進することを目的とするものである。
今回、元全日本バレーボール選手と監督3名による講話を行う。進行役をたて、内容(テーマ)を指定し、話をしてもらうようにする。「オリ・パラシンポジウム」と名付け、その進行役は生徒が担当する。オリ・パラ教育が目指す目的をこのシンポジウムを通じて少しでも達成できればと考える。
【実践内容等】
「オリ・パラシンポジウム」
~東京2020オリンピックに向けてその魅力を語ろう~
シンポジスト 植田 辰哉 氏
(元全日本男子バレーボールチーム監督)
シンポジスト 大山 加奈 氏
(元全日本バレーボール選手アテネ五輪出場)
コーディネーター 田中 直樹 氏
(元全日本男子バレーボール選手、本校33回生)
バレーボールとの出会い
【植田】ずっと剣道を熱心にやっていたが、剣道の先生が亡くなったことがきっかけでバレーボールの道に入った。
【大山】今、187㎝。「大きいからバレーボールやらない?」と誘われて、バレーボールを見学した。先輩のキラキラした姿に憧れてバレーボールを始めた。妹が活躍している姿を見て「悔しい」と感じたのが、頑張るようになったきっかけ。
【田中】もともとがスポーツ好きだった。中学校に入学して野球部に入ったが、なかなか上手くなれなかった。バレーボール部の楽しそうな練習風景を見てバレーボール部に入った。
高校時代の思い出
【大山】高校3冠を取ったが、全国制覇を目指して2年生で新チームになった最初の東京都大会で優勝できず、東京第2代表に甘んじてしまった。前キャプテンが素晴らしい人だったので、自分自身がみじめな気持ちにもなった。その私を支えてくれたのが、チームメートの荒木さん(荒木絵里香、元全日本代表選手)だった。
【植田】規律を学んだ。挨拶や人間関係の大切さを徹底的に教えられた。毎日7~8時間の練習だった。
【田中】高校に入ったら、バレーは続けずに、天文学の勉強をしたいと思った。山内則季先生(監督)からの「バレーなら日本一になれるかもしれない。」という言葉に心が動いた。高校での練習はとてもつらかったが、「高校で何をしたか?」と問われれば、即座に「バレーボール」と答えられる。
全日本選手に選ばれた当時を思い起こして
【田中】大学2年の時に全日本入り。とにかく一生懸命だった。自分がどんな選手で、人からどう思われているかなど考えたこともなかった。
【植田】ソウルオリンピック代表から外された。つらい思いをしたが、それを言葉で表現するのではなくエネルギーにかえて頑張った。
【大山】当時、女子バレーボールは誰からも注目されていなかった。世界選手権13位という結果で大バッシングを受けた。全日本に選ばれるというのはそれだけの覚悟がいるということを感じた。
バレーボール以外の楽しい思い出
【植田】一心不乱になってバレーボールに打ち込んだ。52歳になった今になってやっと他のことにも目を向けられるようになった。
【大山】高校時代の練習は、月曜日はトレーニング、火水木は練習、金曜日は休み、土曜日は練習、日曜日は午前中だけという生活だった。プリクラやカラオケ、マックに行くなど他の高校生と同じように自由な時間はたくさんあった。しかし、バレーボール以上に夢中になれたものはなかった。
【田中】バレーを一生懸命にやった。これからもバレーボール中心の生活になると思っている。
オリンピックでしか体験できなかったこと
【大山】女子バレーは、シドニー五輪には出られなかった。次のアテネには絶対に出なければというプレッシャーがあった。つらくて合宿所を抜け出すことを考えたこともあった。出場したオリンピックも緊張でほとんど覚えていない。世界選手権やワールドカップでは感じられないものがあった。
【植田】選手で1度、監督で1度出場した。ストレスのせいか帯状疱疹になり、プレッシャーで体重が6㎏も減った。海外にいる時、妻から国際電話で出産の知らせを聞き、痛みや苦しみは忘れられた。オリンピックを通して周囲の人からの支えを感じることができた。
【田中】自分自身はオリンピックに出場はしていないが、海外に行った時、他の国の人たちの国旗国歌に対する態度を見て、自国に対する「思い」の強さを感じた。他の国には、試合会場を一歩出れば、スラム街など身の危険を感じる所もある。安全に過ごせる日本のありがたさを感じることあった。
2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて
【植田】経済効果は15兆円とも言われている東京オリンピック・パラリンピックだが、このチャンスをつかんでいろんな人と関わってほしい。五輪のマークの色は、5つの大陸を表すとともに、5つの自然現象、水の青・砂の黄色・土の黒・木の緑・火の赤を意味しているともいわれる。
【大山】オリンピック・パラリンピックでは、メダルの数や勝った負けたということに注目が集まるが、OLYMPIC VALUES(オリンピックの価値)「卓越性」「友情」「敬意」というものは、決してオリンピアンだけのものではない。
【田中】オリンピックは、アスリートにとって最高の舞台。No.1を目指してアスリートが何をやるかが目に入ってくる。このことを、メディアやムーブメントを通じて知ることができる。最高の人は何をしているか、頑張っているかを知ってほしい。
「これだけは、誰にも負けないというものは何ですか?」 ~生徒からの質問~
【田中】直方高校男子バレー部には、「七戒」というものがある。声だけは絶対に負けない。人がいいプレーをしても自分が喜ぶという気持ちを持てたこと。
【植田】「あきらめない」という強い気持ちを持つことができたこと。
【大山】バレーをして本当に良かった。体は丈夫になった。自信がついた。友達がたくさんできた。バレーボールとの出会いに感謝している。バレーボールが好きな気持ちだけは誰にも負けない。
「エースになるには何が必要ですか?」 ~生徒からの質問~
【植田】サーブ、レシーブ、トスでつないでくれたことへの感謝の気持ちを忘れないこと。
【大山】試合で肝心な時に、自分にトスが来ないことがあった。セッターの信頼を得ていないということ。信頼を得るため、必死に練習する、コミュニケーションを日頃から取っていくことを心掛けるようになった。
【田中】苦しいときに決めることができるのがエース
高校生へのメッセージ
【大山】今のこの仲間の大切さを頭の片隅にでも置いていてほしい。3年間はあっという間に過ぎてしまう。今を大切に過ごしてほしい。
【植田】3つの掛け算、「もって生まれた能力×情熱・熱意×人間性」を養ってほしい。
【田中】私自身はオリンピックには行けなかったが、このことが、「負け」ではない。目指す過程で大きなものが得られたと思っている。
(実践上の工夫点、留意点等)
・進行が話題提供し、その話題について話をしてもらう。その進行は生徒から選出する。
・事前にどのような話が聞きたいか調査し、話題提供の参考にする。
・事前にDVD映像で講師を紹介し、さらに各自で講師の経歴などを調べ、シンポジウムに臨ませる。
(成果)
バレーボール選手のオリンピック出場経験のある講師を招いてのシンポジウムを行った。生徒の反応は予想以上によく、熱心に聞き積極的に参加する姿が随所にみられた。トップアスリートの経験や物事の考え方など、生徒が生きていく上で人生の糧になると思う。このような体験は非常に重要であるとあらためて考えさせられた。
シンポジウム終了後に生徒一人一人が感想文を書いた。別紙資料として感想文を抜粋しコピーしたものを添付している。
【オリンピック・パラリンピック教育の実施に伴う問題点】
講師を招聘する為の経費捻出に課題は残るが、この取組を継続して行っていきたいと考える。